病院概要
病院概要
名 称 | 社会福祉法人 新潟市社会事業協会 信楽園病院 |
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開設者名 | 高橋 秀松 (社会福祉法人 新潟市社会事業協会 理事長) |
管理者名 | 院長 田中 一 |
所在地 | 〒950-2087 新潟市西区新通南3丁目3番11号 |
開 設 | 昭和6年6月 |
許可病床数 | 一般病棟 281床、地域包括ケア病棟 44床 計 325床 (うち有料個室 81床) その他 人工透析 150床 |
標榜科 |
内科、腎臓内科、呼吸器内科、感染症内科、消化器内科、循環器内科、 |
入院基本料 | 一般病棟入院基本料(急性期一般入院料5) |
主要医療機器 | マルチスライスCT撮影装置、磁気共鳴断層撮影装置、血管造影撮影装置、 コンピューテッド・ラジオグラフィーシステム(CR)、多目的X線透視装置、 ガンマカメラ装置、X線撮影装置、マンモグラフィー撮影装置、骨密度撮影装置、 移動用X線撮影装置、超音波診断装置、生化学自動分析装置、採血管準備システム、 多人数用透析液供給装置、RO装置、全自動錠剤分包機、注射薬自動払出システム 等 |
主要医療情報システム | 電子カルテシステム、看護支援システム、放射線システム、臨床検査システム、 生理検査システム、細菌検査システム、病理検査システム、内視鏡システム、 透析システム、リハビリシステム、輸血システム、眼科ファイリングシステム、 調剤システム、服薬指導システム、医事会計システム、物品管理システム、 病歴システム、病診連携システム 等 |
職員数 |
職員数 556名 |
駐車場スペース | 633台 |
敷地面積 | 33,563.23㎡ |
延床面積 | 28,233.41㎡ |
併設施設 | 信楽園訪問看護ステーション |
附属施設 | 信楽園病院附属有明診療所 |
沿革
信楽園病院のあゆみ
年月 | 内容 |
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昭和 6年 6月 | 定員10名結核患者静養舎を設立、有明松風園と呼称 以後、新潟市仏教婦人会・篤志家・斉藤良久子氏らの寄贈により逐次増床 |
昭和 9年11月 | 御下賜金を拝受 |
昭和12年11月 | 上記御下賜金をもとに西有明町に移転、増改築を行ない、有明信楽園と改称 昭和21年以降、結核の蔓延にともない、同募金病棟、会社工場等の委託病練を開設 |
昭和38年11月 | 一般病棟を開設、計254床となる |
昭和42年 9月 | 姉妹施設・特別養護老人ホーム「松風園」を併設 |
昭和43年 3月 | 慢性腎不全患者の血液透析治療を開始 |
昭和43年 5月 | 信楽園病院と改称 |
昭和45年11月 | 信楽園病院改築第一期工事 透析治療を中心とした成人病センター完成 |
昭和50年 3月 | 信楽園病院改築第二期工事、中央棟、東棟、看護婦寮が完成 320床となる |
昭和51年 4月 | 姉妹施設・特別養護老人ホーム「有明園」を併設 |
昭和52年 4月 | 神経内科及び外科開設 |
昭和54年 4月 | 特別養護老人ホーム松風園、有明園を施設分離する |
昭和56年 4月 | 50周年記念行事の一環として、南棟、倉庫棟、手術室が完成 |
昭和56年10月 | 脳神経外科開設 西棟、東棟改造 |
昭和57年 4月 | 循環器内科開設 |
昭和61年 4月 | 一般病棟312床、結核8床に変更 |
昭和62年12月 | 整形外科、理学診療科開設、病床数335床となる |
昭和63年12月 | 手術室改修工事、第四手術室増設 |
平成 2年 4月 | 救急告示病院(整形外科、外科を除く) |
平成 3年12月 | 病院増築・改修工事(外来、病棟、MR室、透析室) |
平成 4年 4月 | 結核病床を4床に縮小 |
平成 5年 5月 | 難病用病床10床増床、病床数341床となる |
平成 5年11月 | 眼科開設 |
平成 9年 6月 | 信楽園西川診療所(透析)開設 |
平成12年 4月 | 信楽園あかつか診療所開設 |
平成12年 5月 | 居宅介護支援事業開業 |
平成13年 3月 | 財団法人日本医療機能評価機構による病院機能評価認定病院(第226号)となる |
平成14年 4月 | 皮膚科開設 |
平成14年 8月 | 新通地区に新病院建設用地取得 |
平成15年12月 | 新病院移転新築工事起工式 |
平成16年 6月 | 33床を亜急性期入院医療管理料病床とする |
平成16年11月 | 麻酔科標榜 |
平成18年 3月 | 信楽園西川診療所閉院 |
平成18年 4月 | 新病院移転新築工事竣工式 |
平成18年 5月 | 西有明町から新通地区へ新病院移転新築開院 ・結核病床4床を減床し、一般病床337床とする ・電子カルテシステム導入 |
平成19年 1月 | 西有明町旧病院跡地に信楽園病院附属有明診療所開院 |
平成21年 7月 | 胸部・血管外科開設 |
平成24年 4月 | DPC対象病院 |
平成26年10月 | 一般病棟281床、地域包括ケア病棟44床,計325床とする |
平成27年 9月 | 基幹型臨床研修病院 |
経営主体:社会福祉法人新潟市社会事業協会のあゆみ
年月 | 内容 |
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大正12年 7月 | 新潟市に方面委員(現在の民生児童委員)制度施行、5方面定員15名 |
大正13年 8月 | 方面委員活動の助成を主目的に、有志及び方面委員が「新潟市方面委員後援会」を組織 |
昭和 3年 3月 | 方面委員や篤志家の純粋な隣人愛・同胞愛に基づき、会員組織とし「新潟市社会事業助成会」として発足 |
昭和 6年 6月 | 「有明松風園」(現在の信楽園病院)を設立 結核患者の収容に当たる |
昭和 7年 4月 | 新潟市古町13番町に民家を借り入れ、「隣保館」を設立、県下初のセツルメント事業開始 |
昭和 8年 7月 | 4代高橋助七氏私財を投じて市内田中町に「新潟隣保館」を新築、助成会に寄付 セツルメント事業を新潟隣保館に移転 |
昭和 9年 8月 | 「山ノ下保育所」を新築 新潟市に貸与 |
昭和10年 2月 | 財団法人認可 |
昭和17年 1月 | 愛国婦人会新潟県支部から「新潟保育園」を継承し、保育事業を開始 |
昭和19年 7月 | 新潟隣保館に保育所を併設(現在の「隣保館保育園」) |
昭和24年12月 | 新潟市同胞援護会事業を吸収(3月)し、「財団法人新潟市社会事業協会」と改称 新潟育児院から学校町保育園を継承「富山保育園」と改称、経営に当たる |
昭和25年 3月 | 山ノ下保育所を新潟市に寄付 |
昭和27年 2月 | 5代高橋助七氏 新潟保育園内現敷地の3分の2の土地を協会に寄付 |
昭和34年 4月 | 社会福祉法人認可 |
昭和42年 9月 | 県下初の「特別養護老人ホーム松風園」設置 |
昭和43年 3月 | 富山保育園を閉鎖、園舎を新潟市に寄付 |
昭和55年 4月 | 県下初の「児童厚生施設有明児童センター」設置 |
昭和56年 5月 | 「社会福祉施設有明福祉会館」設置 |
昭和57年 4月 | 「東小針保育園」設置 |
平成元年 4月 | 「特別養護老人ホーム有明園」を社会福祉法人新潟市有明福祉事業協会より移管 |
平成 2年 4月 | 県下初の「在宅障害者デイサービス施設」設置(平成15年4月 「身体障碍者福祉センター」に改称) |
平成 4年 3月 | 「老人介護支援センター有明園」設置 |
平成 4年 4月 | 「老人デイサービスセンター有明園」設置 |
平成 5年 4月 | 「有明訪問看護ステーション」設置(平成18年4月 「信楽園訪問看護ステーション」に改称) |
平成 7年10月 | 「特別養護老人ホーム松風園」老朽化のため赤塚地区に移転新築、併せて「老人デイサービスセンター松風園」・「老人介護支援センター松風園」新設 |
平成9年 6月 | 「信楽園西川診療所」設置(平成18年3月閉所) |
平成9年 8月 | 「老人デイサービスセンター鏡淵」設置 |
平成12年 4月 | 「介護老人保健施設あかつか苑」・「信楽園あかつか診療所」・「有明訪問看護ステーションあかつか(サテライト)」設置(平成18年3月サテライト閉所) |
平成18年 4月 | 「新潟市地域包括支援センター赤塚」の委託経営 |
平成18年 5月 | 「信楽園病院」新通地区に移転新築及び「信楽園病院付属有明診療所」設置 |
平成19年 1月 | 「信楽園病院附属有明診療所」新築 |
平成26年 1月 | 「特別養護老人ホーム有明園」老朽化のため移転新築 |
平成29年 3月 | 老朽化のため「隣保館保育園」を現在地に移転新築 |
組織図(令和5年4月1日現在)
組織図はこちら救急搬送患者受入促進の取り組み
当院では、救急搬送患者受入促進に取り組み、同事業について新潟市より補助金を受けています。